レッド・パージ訴訟/26日神戸地裁判決/
良心と憲法に基づく判決を/
原告の大橋豊さん語る
1949年から50年にかけて日本共産党員と支持者数万人が職場から追放された憲法違反の暴挙、レッド・パージ。その被害者が国に名誉回復と国家賠償を求めた訴訟の判決が、26日に神戸地裁であります。
(兵庫県・喜田光洋)
3人の原告の1人、大橋豊さん(81)=神戸市西区=は、「生きて判決を迎えられるとは、何ともうれしい」といいます。
50年8月、神戸市中央電報局に勤めていた大橋さんら4人が免職を言い渡されました。父親は他界し、5人家族の世帯主だった大橋さんに、局長は「君は大家族で申し訳ないが」といいながら辞令を渡したといいます。
4人のうちの1人は直後に自殺。商業新聞は実名をあげて「赤追放」などと、犯罪者扱いしました。
母親は父親の位牌(いはい)を手に「家族みんなを殺していけ」と大橋さんに叫び、その後、頭を丸めて尼寺に入りました。中学生の妹はバス会社に決まっていた就職が取り消され、家族は一家離散しました。
大橋さんは職に就けず、苦闘の日々を送ります。後に神戸協同診療所に勤務。民主的医療運動に従事します。
2000年のレッド・パージ50年を機に名誉回復を求める運動の先頭に。04年、日弁連人権擁護委員会に救済を申し立てました。日弁連は08年10月、レッド・パージは重大な人権侵害と断じ、国と関係企業に救済措置を求める画期的な勧告を出しました。
大橋さんらは勧告を力に、「生きているうちに名誉回復を」と09年3月に提訴しました。
日本政府が能動的に推進
同訴訟は、解雇や免職の是非を争ったかつての訴訟と違い、レッド・パージを推進した日本政府の責任を正面から問い、人権をじゅうりんされた大橋さんらへの国家賠償を求めたものです。
裁判で原告弁護団は、レッド・パージはGHQ(連合国軍総司令部)と日本政府、大企業、最高裁までが共同して遂行したこと、そのなかで、GHQはレッド・パージを指示・指令したのではなく示唆したのであり、政府はその示唆とGHQの権力・権威を利用して自ら積極的・能動的に推進したこと―を詳細な史実をもとに明らかにしました。レッド・パージ研究の第一人者、明神勲・北海道教育大学名誉教授の証言と意見書が大きな役割を果たしました。
弁護団は、人権を侵害した日本政府には被害を救済すべき義務があり、少なくとも主権を回復した52年の講和条約発効後は救済策を実施できたのにせず、被害を救済すべき義務に違反していると主張しています。
最高裁決定の誤りを論証
これまで法的救済が閉ざされてきた大もとにある、レッド・パージを容認した最高裁判決・決定についても、誤りを全面的に明らかにしました。
60年の最高裁決定は、「アカハタ」無期限発行停止を求めた50年7月8日付などのマッカーサー書簡の指示は「その他の重要産業」にも及ぶとし、「そのように解すべきである旨の指示(注 「解釈指示」)が当時当裁判所に対してなされたことは当法廷に顕著な事実」としました。この「解釈指示」をレッド・パージを容認する根拠としたのです。
これについて明神氏は法廷で、新たに発見したGHQ民政局文書を示し、GHQの「解釈指示」なるものは存在せず、あったのは助言または示唆にすぎないことを疑問の余地なく論証しました。
3人の原告は、被害の実態を証言。2月の最終弁論で大橋さんは、「私たちは、日本国憲法が最も大切だとする個人の尊厳、思想・良心の自由を奪われたのです。良心に従い、憲法にもとづく判決を」と訴えました。
( 2011年05月24日 「しんぶん赤旗」)